後ろに並んでいる私からは、レジの会計の値段がはっきりと見えた。合計八五一〇円…。私はおどろかされた。この親子がフィギュア以外のものを買った形跡はないから、フィギュアだけでこの価格である。いったい何体買ったというのか…。
しかし少年の母は金額を見ても何の躊躇いもなく、財布から金を出した。その迷いのなさに、私は瞠目した。けっこう裕福なお家なのだろうか。私の家も裕福な方ではあったが、もし私の母がこの金額を見たらいったんは躊躇するだろう。
フィギュアを何体も入れた大きめの袋を抱え、親子は満足げに去った。その直後に百円のポストカード一枚のみをレジに差し出す私の情けなさよ…。
さっきの少年の時とちがって、中年女性のスタッフの態度がやや冷ややかなように、私は感じた。いかになんでも払っているケタが違う。否、私の気のせいであろうか…。
「そのままのお渡し(袋なし)でよろしいですか?」
私の繊細な心は少し傷ついた。
買ったポストカードをそのまま鞄に入れた私は、交流館の外へ出た。すると、さきほどの少年と母親が地図を見ながら何やら相談している所だ。たぶんこの後も新撰組関連の史跡を訪ねる予定なのだろう。
彼らの姿はそのまま、二十五年前の私と母の姿であった。私は懐かしい気分に浸ったが、頭にはさきほどのレジの「八五一〇」の数字がしきりと思い出されていた。
(令和6年 12月6日)