日々の出来事

「府中の記」

ここは武蔵国の‘’守護神‘’として、古代のむかしより府中の地に鎮座する神社である。府中駅前の大国魂神社とも縁が深く、国分寺西元町にある八幡神社(私は少年~青年期、ここに何度参拝したことか…)と双極をなす存在だ。

ただ、ここはちょっと変わっている神社で、一ノ鳥居を潜ると、そこは境内と言っていいのか住宅地内と言うべきか…立ち並ぶ集合住宅や一軒家の中、一本のやや細い参道がずーっと続いている。しかも参道の途中で、京王線が左右に突っ切っているため、参道がそのまま踏切になっているのだ。それゆえ、本殿にたどり着くためには踏切をひとつ渡る必要がある。

こんな神社は、なかなか無いので面白い。しかし京王線は府中競馬正門前駅だけに向かう‘’支線‘’のような線路であるから、一時間に三本くらいしか通らず、神社の境内の静寂さは、守られているのである。

踏切をわたるとまもなく神門がある。この門は大国魂神社にあったものを移築したもので、菊の紋章が掲げられた立派な門だ。

その門の先、参道は真っ直ぐに社の本殿に向かうのかと思いきや、左へ直角に折れ曲がるかたちとなる。これは本殿を、大国魂神社のある西の方角に向けたかったため、意図的に参道を左に九十度、折れ曲がっているかたちにしたのだろう。こんな所も変わっていて、興趣深いのである。

鬱蒼たる杉林に囲われた荘厳な境内の中、一人、拝殿に向かって手を合わせる。ふだんは拝殿の門は閉ざされていて、中に鎮座する本殿は見ることが出来ない。

(ふり返ってみれば、この国府八幡ともやたらに縁が深いものよ…)

私は二十代前半にフリーターをしていたころ、この近くの某コンビニエンスストアで早朝勤務(六時~九時)をしていた。仕事明けの朝九時にどういうわけか、駅とは反対側のこっち方面に散策してきて、

(こんな所に、参道の途中を線路が走っている珍しい神社がある…!)

と心を惹かれ、参拝し、それ以来十回ほど、この〔国府八幡宮〕を訪れている。こうした信仰心みたいなものを忘れぬからこそ、今までの私の人生で何度も訪れたピンチ、孤立無援な窮地でも、誰かがアドバイスしてくれたり、救いの手をさしのべたりしてくれたのかもしれない。

やはり私の信仰心の根底にあるのは「感謝の念」である。神社の本殿に向かって合掌する時、日ごろ安全無事に生きさせてもらっていることに、謙虚に感謝している。小さなことにでも感謝できる気持ちがあれば自然と、窮地に陥った時にも素直に、人の助言を聞き入れることができる。

…とすれば、先ほどの京王線の車内で寝そべっていた‘’彼‘’には、日ごろへの感謝の念が不足していたということなのだろう。それゆえに、非常識な行動をとっていても誰一人として注意してくれる人もおらず、ひとりよがりの孤独な領域に突きすすんでいってしまったにちがいない。

そんなことを考えながら、私は国府八幡宮の鳥居を出て、帰途についた。たしかにあの男が私と同様、頻繁に神社に手を合わせる習慣をもっているとは、とてもじゃないがイメージ出来なかった。こういう信仰心があるか無きか、そんな些細な所で人の「運」は分かれてゆくものなのである。

帰り道、国府八幡の近くにあるドン・キホーテ府中店で、チキン南蛮弁当を買って、いそいそと家路についた。

(令和7年 9月16日)

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