三年ぶりに、東京・府中に行った。
東京の国分寺市出身の私にとって…また、古代史に関心がある私は、武蔵国・国府の史跡を幾度も巡ったりして…思い出深い場所が非常に多いところだ。
分倍河原で京王線にのりかえたのだが、私の座っている真向かいに男性が一人、仰向けで寝そべっていた。
週末の午前中で電車内は空いているので、誰も彼に文句を言う人はないが…。二、三人分の席を占拠して、若干いびきを立てて寝ている。
唯一、彼が土足で寝そべるのでなく、ちゃんと靴を脱いで傍らに並べ、靴下で座席に足を載っけて寝ころんでいる点が、礼儀正しいと言えば言えるけれども。
彼の周囲からは当然、常識的な乗客たちは離れ、距離をおいた。気づけば、周り見わたすところ私と彼以外誰も居なくなっていた…。
私は列車を下りるまでは已むを得ず、彼の寝そべる姿とずっと対峙していなければならなくなった。凝と観るわけにはいかないが年齢は五十前後、服装もさほど不潔なものを着ているように見えない。また、こういう人特有の饐えた匂いも周りに漂っていない。
何ゆえに彼が、土曜の午前中の健全な空気しか存在しない京王線の車内で一人、非常識きわまる「席に寝そべる」という行為をするに至ったのか。それは想像するしか術はないが、彼がこんな境遇に陥る前に、誰か手をさしのべてくれる人や、
「こんな所で寝ていちゃぁダメだぞ」
と常識的な忠告をしてくれる友の一人でもいたなら、彼は救われていただろう。
人が完全な孤独や窮地に陥りかけた時、周囲の人たちの大半がその人から離れていってしまっても、誰か必ず一人でも、無償の愛で助けの手をさしのべてくれたり助言(アドバイス)をしてくれたりするものである。それが人の極限状態における「運」というものだと私は考える。
彼がそんな人の助言に聞く耳を完全に持たなかったのか、あるいは一人もそういう人があらわれなかったのか…。どちらにしろ、電車内で寝ころがっている彼の姿を見るにつけ、
(運のない男よ…)
彼の「運の無さ」への憐みの情が、私の心中に浮かんでは、消えた。電車内で非常識な行動をとっている彼という人間自体への軽蔑の念は一切おこらず、彼をこんな孤独な境遇に陥らせた「運の無さ」というものへの憐憫、哀しみの念だけがあった。
東府中の駅に着き、私が下りようとする時も、彼は不相変(あいかわらず)微かないびきを立てて眠っている様子だった。
さて…。頭を切りかえて、東府中駅前から〔国府八幡宮〕へ向かおう。